昭和11年、春。
「結婚相手は、帝国海軍の中尉だそうよ」。
父からの一言で、なつ美の人生は大きく動き出した——。
『波うららかに、めおと日和』は、昭和初期を舞台にした“ちぐはぐ新婚物語”。
恋愛を知らない20歳の花嫁・なつ美と、堅物すぎる25歳の軍人・瀧昌。
たった5歳の年齢差なのに、ふたりの距離は、思っていたよりずっと遠い。
けれど、「年齢設定」は、ただの数字じゃない。
そこには、当時の結婚観、夫婦の役割、愛のかたち——
すべての“時代の空気”が、滲んでいる。
今回は、このふたりの“5歳差”がどんな意味を持つのかを掘り下げながら、
昭和初期の新婚像を、じっくり読み解いていきます。
なつ美と瀧昌の年齢設定
なつ美:20歳の純真な花嫁
「えっ、結婚って……そういうことですか?」
結婚式を終えたその夜、なつ美は初夜の意味さえ知らなかった。
それもそのはず——彼女はまだ20歳。
家柄はしっかりしていても、世間知らずで、恋愛も知らず、
「夫婦って何?」と戸惑う姿は、まさに“昭和の箱入り娘”。
しかし、その無垢さが、逆に視聴者の胸を打つ。
誰かを好きになること、誰かと生きることを、
ゼロから始めるなつ美の姿に、どこか懐かしさと初々しさを感じてしまう。
瀧昌:25歳の堅物な軍人
「任務に戻らなくては——申し訳ない。」
そんなセリフを残して、結婚式当日に去っていった新郎・瀧昌。
帝国海軍中尉、25歳。社会的には立派な“大人”でも、
恋愛経験はゼロに近く、感情表現も不器用すぎる。
でも、彼は彼なりに真面目で、誠実で、
どうにかして“夫”として向き合おうとする姿が、切ないほどに愛おしい。
この5歳差。
現代なら“ちょうどいい”とされる年齢差なのに、
時代背景が変わると、こんなにも“すれ違う”のだ。
年齢だけでは測れない——でも、年齢だからこそ描ける。
それが、この物語の妙だ。
昭和初期の結婚観と年齢差
お見合い結婚が主流の時代
今のように「好きだから結婚する」という時代じゃなかった。
昭和初期、日本の結婚は“家”と“家”の契約のようなもの。
恋愛結婚は稀で、親が決めた縁談に従うのが当たり前だった。
たとえ相手の顔を一度も見ていなくても——。
なつ美もその一人。
父に言われるがまま、海軍軍人との縁談を受け入れた。
彼女が選んだわけじゃない。
「娘は“嫁ぐもの”」という時代だったから。
その背景があるからこそ、
「知らない人と暮らす」ことの戸惑いも、
「好きになってはいけないかもしれない」葛藤も、リアルに響く。
年齢差から見る夫婦のバランス
5歳差——それは、当時の理想とされた“夫婦のバランス”。
昭和初期、男性が年上であることは「頼りがい」の象徴だった。
とくに軍人は「国家を守る男」であり、
その妻は「支える存在」として、慎ましくあることが求められた。
25歳の瀧昌と、20歳のなつ美。
この年齢差は、夫が導き、妻が従う——
そんな“理想像”を前提に描かれている。
でも、このドラマはその構図を壊していく。
「年上の夫=正しい」とは限らない。
「年下の妻=従順」とは限らない。
そうやって、二人は少しずつ、対等な“夫婦”へと育っていくのだ。
年齢設定が物語に与える影響
なつ美の成長と変化
「あなたと夫婦になるって、どういうことなんでしょうか」
20歳という年齢は、まだ“娘”として生きていた証。
恋も知らず、誰かと生活することも知らず、
ただ“お嫁に行く”という言葉の重みだけが、一人歩きしていた。
けれど、瀧昌と過ごす日々のなかで、
なつ美は徐々に“妻”としての顔を手に入れていく。
洗濯の仕方、味噌汁の味、沈黙の時間、目を合わせる意味。
ひとつずつ、経験が“生活”に変わっていく。
そして気づく。
「この人と生きるって、きっと悪くないかもしれない」と。
年齢が若いからこそ描ける——
“はじめて”に戸惑い、“はじめて”を喜ぶ、なつ美の成長が、
この物語の大きな魅力のひとつだ。
瀧昌の不器用な愛情表現
「俺は、君に幸せになってほしい」
25歳。軍人としては若くないが、恋愛に関しては初心者。
感情を表に出すことに慣れていない瀧昌は、
なつ美に対して、どう距離を縮めていいか分からない。
でも、その不器用さが逆にリアルだ。
言葉にしない愛情、背中越しの気遣い、
すれ違いながらも、確実に育っていく絆。
瀧昌の25歳は、“理想の夫”ではない。
でも、“不完全でも誠実な夫”としての輪郭を描いてくれる。
それが、このドラマの優しさであり、深さでもある。
まとめ
『波うららかに、めおと日和』のふたりは、
20歳と25歳。たった5歳の年齢差——
でも、その「たった」が、意外なほど深い距離を生む。
昭和初期という時代。
愛を知らずに結婚することが“普通”だった時代。
そんな時代だからこそ、ふたりの歩み寄りには、
覚悟も、遠慮も、そして少しの希望も混ざっている。
なつ美の若さは、無垢さであり、可能性であり。
瀧昌の年上ぶりは、不器用さであり、優しさであり。
年齢設定はただのプロフィールじゃない。
その数字の奥に、時代の常識と、個人の葛藤と、
そして、物語の余白がある。
“知らない人と、夫婦になる”という命題。
その入り口に立つ、20歳と25歳。
だからこそ、視聴者はこう思うのだ——
「ふたりの明日が、少しだけ楽しみだ」と。
どうかこの“5歳差の物語”に、
あなたもそっと心を預けてみてください。
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