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初恋 DOGs のロケ地を探して|静岡・神奈川・東京・韓国の撮影スポットを紹介|犬たちが駆けた海と街をたどる

初恋 DOGs のロケ地を探して|静岡・神奈川・東京・韓国の撮影スポットを紹介|犬たちが駆けた海と街をたどる ロケ地・撮影地
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はじめに|“犬たちと人の心が交差する”風景を歩く

ドラマ『初恋✕DOGs』は、ただ犬と人とのふれあいを描いた作品ではありません。
それは、“心に触れることを恐れながら、それでも他者に手を伸ばしてしまう”人たちの、再生の物語です。

誰かの傷に、誰かの孤独に、静かに寄り添うように――画面に映る風景は、どこか懐かしく、それでいてまだ知らない場所のようでもありました。

海辺の白い砂、錆びたシャッターの商店街、ドッグカフェのテラス席。
それらの風景は、登場人物たちの言葉にならない感情を、まるで“地形のように”描き出していました。

本記事では、そんな『初恋✕DOGs』の舞台となったロケ地を、物語の心の動きとともに紹介していきます。
その場所に立つことで、あなた自身のなかに眠っていた記憶や感情が、そっと目を覚ますかもしれません。

静岡のロケ地|“はじまりの気配”がただよう海と商店街

静岡のロケ地|“はじまりの気配”がただよう海と商店街

吉佐美大浜海水浴場(静岡県下田市)|言葉よりも早く、心が開いた砂浜

南伊豆の海。ひと気のない砂浜に、ふたつの影と数匹の足跡が並んでいく――
この風景こそが、愛子と快、そして犬たちの“関係の最初の輪郭”を描き出した場面でした。

吉佐美大浜海水浴場は、下田のなかでも特に透明度が高く、開放的な砂浜です。
ドラマのなかで快がこの場所を選んだのは、誰かと心を通わせるには、まず“言葉のいらない時間”が必要だと知っていたからなのかもしれません。

互いに過去を背負いながらも、海を前にしたとき、ふたりの間にはどこか柔らかな静けさが流れていました。
人が人に触れる前に、風や空気や匂いがその緊張をほどいてくれることがある――そのことを思い出させてくれる風景です。

静岡市清水区の商店街|“暮らしの音”が、心をほどいてゆく

一方、静岡市清水区にあるこの商店街は、海の静けさとは対照的に、生活の音が息づいている場所です。

錆びた看板、閉まりかけたシャッター、行き交う地元の人々の視線――
それらが、派手な演出ではなく、「ふとした瞬間に心がほどけていく空気」を丁寧に表現していました。

ここでは、愛子の心の距離がほんの少しだけ緩むような、“ほころびの一歩手前”が描かれていたように思います。
この街の空気が、無理に近づこうとはせず、ただそっと“見守っている”ように感じられたのです。

ロケ地というのは、ただ背景を提供するだけではありません。
それは時に、登場人物の“心を開かせる共犯者”になる。
静岡のこのふたつの場所は、その証明のような存在でした。

神奈川のロケ地|犬と人が暮らす“優しい日常”の風景

神奈川のロケ地|犬と人が暮らす“優しい日常”の風景

DOG DEPT 湘南江ノ島店(藤沢市)|テラスの風が教えてくれること

湘南の潮風が吹き抜けるドッグカフェのテラス席。
そこに流れるのは、劇的な展開ではなく、「ただ一緒にいることの穏やかさ」でした。

藤沢市鵠沼海岸にある「DOG DEPT 湘南江ノ島店」は、実在するドッグカフェ。
ドラマの中では「Lovely Tails Café」として登場し、快や愛子、そして犬たちがふと立ち寄る場所として描かれています。

食事をしながら、少しだけ心を許して話す。
背中越しに犬のぬくもりを感じながら、視線を交わす。
言葉の重なりではなく、“時間の共有”そのものが関係を育てていく
その演出を支えていたのが、このカフェの“開かれた空気”でした。

鵠沼海岸・湘南ひらつかビーチパーク|誰かと歩く朝の海辺

快と将軍がともに朝を迎え、海辺を歩く場面には、彼らの関係の“揺れなさ”がにじんでいました。

鵠沼海岸や湘南ひらつかビーチパークは、江ノ島から続く自然な海辺の道。
波音とともに始まるその一日は、彼にとって“日常という名の安心”を象徴していたのかもしれません。

犬と暮らすことは、ある種のリズムを手に入れることでもあります。
ご飯をあげる時間、散歩の時間、眠る前の静けさ。
その時間が、ひとりの心を整えてくれる――そんな“犬との日常”のリアリティが、この風景からはしっかりと感じ取れました。

葉山町の住宅街|“しろさき動物病院”があるという現実感

白崎快が院長を務める「しろさき動物病院」。
その外観として登場するのが、神奈川県三浦郡葉山町にある一軒家です。

白壁と木の窓枠。病院でありながらも、どこか住居のような温かさを感じるこの建物には、「診察」ではなく「対話」が生まれる空気が漂っていました。

快はおそらく、自分自身を「治す側」ではなく「ただそばにいる側」としてこの場所に立っていたのかもしれません。
その微細なスタンスの違いが、このロケ地の選定に表れているように思います。

古民家スタジオ ヒラメ邸(三浦市)|時間が沈殿している場所

そして彼が暮らす家。
三浦市の「古民家スタジオ ヒラメ邸」は、ただの“味のある家”ではありませんでした。

畳の匂い、木の床の軋み、風の通り道。
それらはすべて、“ひとりで暮らしていた時間の重み”を静かに映し出していました。

犬たちが駆け回る姿と、快が台所に立つ背中。
そのコントラストが、無言のまま「誰かと暮らすということ」のあたたかさを語っていたように思います。

東京・千葉のロケ地|緊張と再出発が交差する都市の空気

東京・千葉のロケ地|緊張と再出発が交差する都市の空気

ITOKI DESIGN HOUSE(日本橋)|“戦う場所”としての職場の外観

都市の中心、日本橋にある「ITOKI DESIGN HOUSE」は、愛子が働く法律事務所のロケ地として登場します。

ガラス張りのモダンな建築と、洗練された無機質な外観。
ここは彼女にとって、「日々戦ってきた場所」であり、同時に「自分を守る仮面をかぶる場所」でもありました。

私たちは時に、居場所を得るために自分の感情を棚上げします。
その選択が「強さ」に見える一方で、実は「静かな孤独」でもある。
このロケ地の冷ややかな質感は、まさにその内面の張り詰めた緊張感を、空間として表していました。

哲学堂スタジオ/港区立郷土歴史館|決断の空間、別れの予感

物語のなかで裁判シーンの舞台となるのが、中野区の「哲学堂スタジオ」と、港区白金台にある「郷土歴史館」

法廷という場は、正しさが突きつけられる空間であると同時に、「感情が削ぎ落とされる場」でもあります。

歴史ある建物のなかに響く足音、照明の冷たさ、背筋を伸ばした椅子の角度。
それらすべてが、“もう元には戻れない”という雰囲気を生んでいました。

「正しさ」と「やさしさ」は、時に両立しない。
そのことを視聴者に突きつけてくるこの空間は、ドラマにおけるひとつの大きな分岐点だったように思います。

北条海岸(館山市)|風を受けながら、自転車で走る解放

そして、千葉県館山市の「北条海岸北駐車場」は、快が犬たちを乗せて自転車で走る海辺のシーンに登場します。

海を横目に走るその姿には、「責任を引き受けながらも、それでも進む意思」がにじんでいました。

ここでの風景は、都会の緊張感からの“解放”ではなく、“新しい関係性のはじまり”として機能しています。
つまりこれは「逃避」ではなく、「選び取った日常」の一場面。

そのニュアンスをきちんと伝えるために、海岸線の見せ方、音の配置、そして快の背中の向きまでが、非常に計算されていた印象です。

埼玉のロケ地|人生の“転機”を象徴するアウトレット

埼玉のロケ地|人生の“転機”を象徴するアウトレット

ふかや花園プレミアム・アウトレット(深谷市)|“偶然”が交差する場所

人は、予期せぬ場所で、予期せぬ誰かと出会います。
そんな「偶然の必然」を象徴するような舞台が、埼玉県深谷市にある「ふかや花園プレミアム・アウトレット」でした。

この場所は、快や愛子、そして犬たちが交差する重要な場面に登場します。
開けた敷地、非日常的な商業空間、行き交う人々のざわめき。
そのどれもが、「ひとつの物語が、ここから大きく動き出す」という空気を生み出していました。

アウトレットという場所の特性――「目的がなくても足を運べる」「新しい何かと出会える」「通りすがりが必然になる」――これらは、
偶然性と運命性が交錯するこのドラマの本質と、見事に呼応していたように思います。

また、この場面では背景の人々(エキストラ)も非常にリアルで、
まるで私たち自身がその日その場で彼らとすれ違ったかのような感覚を覚えるほどでした。

それはつまり、「他人の物語が、自分のすぐ隣を通っている」という、あの奇妙で胸がざわつく感覚。
このアウトレットのシーンには、そうした日常と非日常の“ちょうどあいだ”の温度が、確かに映っていました。

韓国ロケ地|ソハの記憶と孤独を映す都市の静けさ

韓国ロケ地|ソハの記憶と孤独を映す都市の静けさ

仁川大橋・西江大橋|“立ち尽くす心”の象徴

韓国ロケ地のなかでも印象的なのが、仁川大橋や西江大橋といった巨大な橋の上に佇むソハの姿です。

高層ビルのない広い空、無音のような風、果てしなく続く直線――
その場にいるだけで、「自分がどこにも属していない」と感じさせられるような空間。

橋とは、過去と未来をつなぐ構造物です。
そしてドラマの中でのソハは、まさに“過去と向き合うことを避けながらも、未来に踏み出せない”地点に立っていました。

その心理的停滞を、言葉ではなく空間で表すには、
この橋という場所の“無音の重さ”が必要だったのだと感じます。

ソウル市内の住宅街|祖母の家、“関係”という名の記憶

もうひとつのロケ地は、ソウル市内にある一般的な住宅地
ソハの祖母が暮らしていたとされる家や、彼がかつて過ごした道が描かれる場面です。

そこに特別な演出はなく、どこにでもある風景として映し出されていたことが、かえって胸を打ちます。
「大切な人との記憶ほど、地味な風景に焼きつく」という真理が、その映像にはありました。

誰かと過ごした時間が、通い慣れた道の匂いや、窓から見えた木の枝に宿る。
それを再び見つめることは、単なる“懐かしさ”ではなく、“今の自分を受け入れる勇気”なのだと思います。

この韓国パートには、言葉数が少ない分、
風景が感情の通訳として機能している――そんな演出の静けさが、美しく印象的でした。

まとめ|“犬たちが駆けた道”を、今度は自分の足で

ドラマ『初恋✕DOGs』は、人生の途中で出会った“誰か”や“何か”によって、人が変わっていく姿を、静かに、丁寧に描いています。

その変化の背景には、必ず“場所”がありました。
海辺の開放感、商店街のぬくもり、カフェのテラス、橋の上の孤独――
どのロケ地も、登場人物の感情を照らし出す“鏡”であり、“避けがたい風景”でもあったのです。

画面の中で犬たちが駆けていたあの道を、今度は自分の足で歩いてみる。
そこには観光でも、単なる聖地巡礼でもない、“心の回復”につながる体験が待っているかもしれません。

ドラマを観て、少しでも何かが胸に残ったあなたへ。
その風景を、もう一度「今のあなた」として眺めること。
それこそが、この作品の“もう一つの観かた”なのかもしれません。

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